AIにはできない、人間にしかできない通訳・翻訳がある…だからナニ?

こんな主張を目にすることがあります。

 

「まだまだAIにはできない、人間にしかできない通訳・翻訳がある」

 

あなたも見たことあるだろうし、なんならご自身でそう主張しているかもしれません。

そういうのを目にするたびに、「…だから?」と思ってしまいます。

 

いちおう書いておくと、この主張が間違っているとは言ってません。むしろ、正しいと思う。

たしかに、AIにはできない、人間にしかできない通訳・翻訳というものはあります。でも、「だからなんなのか」ってことなんです。

「まだまだAIにはできない、人間にしかできない通訳・翻訳がある」から、「通訳・翻訳という仕事はまだまだ大丈夫」と言いたいのか? 「だからあなたも/みんなも安心して」と言いたいのか? 「だから通訳・翻訳をこれからも頑張っていきましょう」と言いたいのか?

…なんだか、書けば書くほどやっぱり「…だから?」って感じになっちゃいます(^_^;)

 

自分に向けるならまだいいんです。

「まだまだAIにはできない、人間にしかできない通訳・翻訳がある!だから私はこれからも頑張ります!」

と言うなら「そうですね!頑張ってください!」でいいんですが、自分以外にこんな主張を伝えるのは「根拠のない気休め」を振りまいているのと同じではないか、とすら思うんです。「きっと大丈夫」という楽観論で、もしかしたら通訳・翻訳以外の選択肢を考えている人を縛り付けている可能性まであるんじゃないか。

 

要は、「AIにできない仕事がある」ことと、 「あなたがその仕事で食べていける」ことは、 まったくの別問題だってこと。

「AIにできない通訳・翻訳」はどこまでいっても残ると思います。でも同時に「AIにもできる通訳・翻訳の割合」が大きくなっていくこともまた疑いようがありません。いわば、「たしかに市場は残るが確実に小さくなっていく」わけです。で、そのちっちゃくなっていく市場を「残るから」という理由で追い続けるのが果たして正解なのかどうか。

 

僕は「通訳・翻訳はもう終わり」と言いたいわけじゃありません。いま通訳・翻訳でお金を稼いでいるならいますぐ辞めることもないし、今のうちに稼げるだけ稼ぐことをお勧めします。そのためのアドバイスも僕は引き続きカセツウでやっていきます。

ただし考えて欲しいのは「通訳・翻訳にこだわらない」ことです。

 

このところカセツウに相談に来てくれた方にほぼ毎回、確認していることがあります。

「xxさんは、通訳/翻訳 “で” お金を稼ぎたいんですか? それとも、お金が稼げるなら通訳/翻訳以外のことに取り組むつもりはありますか?」

この回答によって提供できるサポートの幅が大きく変わるからです。もちろん「通訳/翻訳以外のことでも頑張るつもりです」と言ってくれた方が可能性が拡がります。

 

逆説的なようですが、通訳・翻訳にこだわればこだわるほど通訳者・翻訳者としての寿命は短くなるし、通訳・翻訳に拘らずに「クライアントの問題解決」にフォーカスできれば、結果的に通訳者・翻訳者として生き残る確率が高くなるはずです。