自分を大切に扱う
読み終わった本に書いてあったこと。
▼▼▼(引用ここから)
「まともな人生」を歩まなきゃと思う、
その「まとも」は、結局は親が考える
「まとも」ではないのだろうか。
「まともな人生」という呪縛をかけ続けてくる
「内なる声」。そこから自分を解放するには
どうしていけばいいのだろう。
とらわれてしまう時は、健全な自己肯定感を
持てていない場合が多いだろう。まずは形から
でも、自分を大事に扱う練習をすることだ。
本当にそうしている人は、自分を大切に扱う
くせがついていく。例えば、お茶を飲む時に
お客さま用のカップを使うとか、誰にも会う
予定がなくても「よそ行き」の服や
ジュエリーをつけるとか。
自分はそれに見合う人間だと、自分に教えて
いくということを一番初めにやらなくては
ならない。親がそうしてこなかった分だけ、
自分が自分のことを掌中の珠のように
大事にする習慣を身に着けることが必要だ。
▲▲▲(引用ここまで)
前後の文脈的には書かれている章の章題が
「インナー・ヴォイスと毒親問題」だし
そういう流れで書かれてますが、僕的には
毒親とか関係なく「自分を大切にする」って
知っておくといいよなぁと感じて紹介してます。
ちょっと自分に確認してみてください。
「今日は(昨日は)自分自身を大切に扱っただろうか?」
案外、粗末に扱っている、または、
粗末じゃなくても大切にはしなかった、
なんて一日もあるんじゃない?って思う。
僕なんて自分を粗末にはしてないけど
「大切にしたか?」と言われると
「もっと大切にできたかも」と思うし。
あと、同じ本の別の部分に書いてあったこと。
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自分を粗末に扱わない、という
態度を身に着けることは難しい。
けれど、それをひとたび身に着ければ、
自分をリスクから遠ざけ、
自分は大きな価値を持つものだと、
自信をもって言うことができる。
▲
どちらがいいかは明白です。
まずは今日、自分を大切にしてみては?
カセツウ
酒井
P.S.
読んだ本の感想や抜き書きをしてますが、
この本の感想の最後の部分はこう書きました。
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自分がどうしてこんな風に考えてしまう
んだろう、と考えることが多い方には
納得できることが非常に多いと思うと同時に
「だからよし、仕方なし」で終わらせて
しまうのももったいない。
「そうか、そうなのか、これは脳が
そうさせているのか」を踏まえた上で
「じゃあ、どうするのか?」を考える
ところまで踏み込みたい。
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「この本」です。
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